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海と共に-館山との縁がつないだ新たな未来

【荒川竜也氏】

<ご紹介するのはこんな方>
荒川 竜也さん(48才)
千葉県印西市在住 館山市船形に別荘所有
家族構成 4人家族(妻50代、娘・息子ともに10代)

南房総での暮らしは、常に海とともにあります。マリンアクティビティを通して海に魅了されてきた荒川竜也さんは、さまざまな海を経験する中で館山と出会いました。なぜこの地を選び、今どのような想いで海と館山に向き合っているのか、お話を聞いてきました。

館山と荒川さんのこれまで

荒川さんが館山に通うようになったのは20年ほど前。高校卒業後、サーフィンに夢中になりましたが、「サーフィンでは食っていけないよ」と周りから言われ、ダイビングのインストラクターとなりました。千葉県のダイビングショップに所属し、当初の活動拠点は伊豆。でも、もっと近場でよいスポットがないかと探すうちに、館山にも足を運ぶようになりました。

「想像以上に綺麗で、『千葉県内でも全然いけるじゃん!』と感動した記憶があります」

その後、結婚、そして家族をもつ過程でダイビングの仕事を離れ、成田空港勤務を経て、現在はトラックドライバーとして働いています。家族との時間を最優先に考え、夕方には確実に帰宅できる仕事を選択しました。それでも休みの度に海に行く生活は変わらず、家族そろって海を楽しむ時間が増えていきました。奥さんも元々ダイビングショップのお客さんだったこともあり、海に行くことには賛成してくれていたそうです。

「いろんな海に行きました。最初がサーフィンだったので、九十九里の辺りもよく行きましたね。生活排水が流れる辺りの海は鼻をつく匂いがあったりして。そこから勝浦、鴨川と南下すればするほど、どんどん海が綺麗になっていって。館山にはダイビングができる穏やかな海と、サーフィンができる荒い海、どちらもある。そういう場所はそんなに多くないんだよね」と館山の海の魅力を語る荒川さん。

【ご家族でスノーケル@沖ノ島】

【ご家族でスノーケル@沖ノ島】

館山へは家族でもよく訪れていたので、移住も検討しましたが、お子さんの学校の都合などもあります。移住相談に行くほど気持ちが高まっていたのですが、「急がなくてもいい」という結論になり、一度は見送ることにしました。

館山で家をもつことになったきっかけ

ところが2019年に転機が訪れました。きっかけは令和元年房総半島台風。これまで仕事や趣味で通っていた場所が大変なことになっていると知り、館山に駆けつけました。

「ボランティアセンターができる前から活動していたので、おそらくボランティア第一号だったんじゃないかな(笑)」

毎週末訪れては瓦礫の撤去をしていました。

【災害ボランティアでは屋根にも登りました】

【災害ボランティアでは屋根にも登りました】

ボランティアの活動も落ち着いてきた頃、以前、移住相談でお世話になっていた方から「毎週来るの大変だし、やっぱりこっちで家持っちゃえば?」と言われました。ちょうど船形の家が売りに出ていたタイミングでした。これもご縁だということで、売買契約を結ぶことに。売買契約自体はスムーズでしたが、決断には悩みもありました。家族それぞれの生活がある中、完全移住は難しい。一方で、拠点があればボランティア活動もしやすくなるし、これまでの移住への想いというものもある。そこでたどり着いたのが「別荘」という選択肢です。

「今の船形の家は家族で移住するには狭いんです。でも別荘であれば、ちょうどいい。それも決め手のひとつでした。館山道(館山自動車道)を降りて10分足らずで着くことができる立地も魅力的でした。海が目の前にあることも理想的です。海が見える場所に移住したいと考える人は多いと思いますが、それが実現できました。それに庭もあって、友人を招いてバーベキューもでき、楽しく過ごすことができます。人口密度が高い都会ではこうはいきません。最近では息子も友達を連れてきて、自由に過ごしています」

ご近所さんとの関係も良好です。車がとまっているのを見ると、顔を出してくれるご近所の方がいます。庭でその方とお話するのも、ここならではだと思います。たまに、のんびりしすぎて帰宅する予定の時間に遅れちゃう!となることもあるんですけどね(笑)」

【夜のお庭で一杯】

【夜のお庭で一杯】

【息子さんと一緒にウッドデッキを作りました】

【息子さんと一緒にウッドデッキを作りました】

館山と荒川さんのこれから

災害ボランティアが終わってからも、館山に通う頻度は変わっていません。それはたてやま海辺の鑑定団(以下うみかん)の活動に参加するようになったことも影響しています。

「これまで仕事や趣味を通じて海にお世話になっていたわけだけど、その海のために何かできることがあるんじゃないかと思うようになったんだよね」と海との関わり方を改めて考えるようになった荒川さん。そのタイミングで出会ったのがうみかんだったそうです。うみかんが夏のスノーケルガイドを募集しているのを知り、これなら自分がこれまで培ったものを活かせると考え、問い合わせをしました。以来、夏は毎週のように館山にきては、スノーケルガイドをしています。スノーケルガイドがない時はサーフィンやSUP(スタンドアップパドル:大きなボードに立ちパドルを漕ぎながら水面を進むアクティビティ)などのマリンアクティビティを楽しんでいます。

【うみかん、夏の活動】

【うみかん、夏の活動】

そして、最近は気持ちにも変化があったそうです。

「何がなんでも移住したいと思っていた。でも最近は別荘という2拠点を持つ自分だからこそできることがあるんじゃないかと思うようになったんだよね」と荒川さんは言います。
現在、ドライバーの仕事の傍ら、地元印西市の水泳教室で水泳やダイビングの講師をしています。印西には海がなく、海を知らない子がほとんどだそうです。「そういう子たちに、海の楽しさや、海を取り巻く環境の課題などを伝えることができるのは自分しかいない。海がない地域の人たちを館山とつなぐ、印西市と館山市をつなぐ、それができるのは自分の強みだと気づき、移住に固執しなくなり、柔軟に考えるようになりました」と荒川さんは語ります。

インタビューを終えて

荒川さんには”海で遊びまくっているやんちゃな人”というイメージを抱いていました。ですが、お話を聞いてみるとご家族のことを最優先に考えていたり、海を大切に想っていたり、自分の大事なことにまっすぐにエネルギーを注ぐことができる人であることがわかりました。きっとこれから、荒川さんにとって大事な場所である印西市と館山市に愛情を注ぎ、荒川さんにしかできない方法で盛り上げていってくれるのだろうと思います。

本記事は、2025年2月に取材・撮影を行った際の情報をもとにしています

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