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4代100年受け継がれた家で地域に眠る歴史を未来へつなぐ

【ご自宅の座敷にて 山本正大さん】

<ご紹介するのはこんな方>

山本正大さん(42歳)
安房郡鋸南町在住
家族構成 単身
以前の居住地 横浜市港北区

約100年前に曽祖父が建てた家に暮らす、山本正大さん。鋸南町勝山地区にあるこの家で暮らすようになった経緯や、リモートワークで働きながら送る日々について、お話を伺いました。

4代にわたって受け継がれた家

安房郡鋸南町勝山地区、海にほど近い場所。広々とした敷地に、広縁と座敷を備えた昔ながらの日本家屋が建っています。
 
この家は約100年前、正大さんの曽祖父が建てたものです。明治元年生まれの曽祖父は、会津から東京に出て、事業を興した立志伝中の人物。「子どもたちには田舎暮らしを経験させたほうがいい」と考えて、目に適う土地を探しました。当初、湘南や大磯を考えたものの「開かれすぎている。手つかずの自然のなかで、田舎らしい生活が経験できるところがいい」と、勝山の地を選んだそうです。
 
その後、祖父がこの家をいたく気に入り、手をかけて改修して今の家に整えました。戦時中は、多くの親戚がこの家に疎開したそうです。彼らは戦後も懐かしんでよく訪れ、4代続く長い間、つねに一族の誰かが出入りして、家は守られてきました。
 
座敷は広すぎず狭すぎず、ほっと落ち着く居心地のよい空間になっています。障子を開けると、その先には庭に面した広縁が続きます。広縁を見上げれば、上部には明かり取りの高窓が設けられ、昔ながらの木組みもそのまま残されています。
 
高窓や障子に使われているガラス、壁に掛けられた古い時計は、いずれも約100年前の建築当時から残るもの。長い年月を経た家ならではの趣が感じられます。

【建築当時から残る障子。中央にはガラスがはめ込まれています】

【建築当時から残る障子。中央にはガラスがはめ込まれています】

【約100年前の建築当時から残る壁時計】

【約100年前の建築当時から残る壁時計】

勝山が「自分の場所」になるまで

子どもの頃、正大さんの家庭では漫画を読むことは基本的に禁止されていましたが、歴史を扱った学習漫画だけは例外で、何度も繰り返し読んだそうです。ご本人曰く「100回くらい読んだかも」とのこと。
 
そんな正大さんは、夏休みになると、毎年1週間くらい、家族と一緒に勝山の家で過ごしていました。けれども、当時の正大さんは、さほどこの場所が好きではなかったそうです。
 
「虫は多いし、ぼっとん便所だし(笑)」と正大さん。
 
やがて大学生になると、歴史サークルの仲間とこの家を訪れるようになります。1997年に開通した東京湾アクアラインのおかげで、車で勝山へ行くのもぐっと便利になっていました。自動車の免許を取り、仲間と泊まりがけで楽しい時間を過ごすうちに、子どもの頃はさほど興味がなかったこの場所が、少しずつ「自分の場所」になっていきました。
 
社会人になり、SEとして働くようになってからは、週末になると勝山へ足が向くようになりました。仕事は残業も多く、ストレスもありました。ちょうどそのころ、鋸南町一帯には新しいお店が増え始め、そうしたお店を回ったり、勝山の家でのんびり過ごしたりすると、心身が充電されることを実感したそうです。土曜日の夜に勝山へ来て、日曜日の夜に横浜の家へ帰る。そんな二拠点生活が約10年間続きました。

【庭を眺めながら広縁で過ごす山本さん】

【庭を眺めながら広縁で過ごす山本さん】

通う場所から、暮らす場所へ

そして2020年、コロナ禍が到来し、正大さんの勤務先でもリモートワークが始まりました。仕事を続けるうちに、「リモートワークなら勝山でもできる。ここに移住して、このまま仕事を続けたい」という思いが次第に強くなり、ついに実行に移します。2021年12月のことでした。
 
移住にあたっては、会社の社長や同僚を勝山の家に招いて、バーベキューを楽しんでもらいました。自分がどんな場所で、どんなふうに働こうとしているのかを知ってもらい、鋸南町に住みながら仕事を続けたいという思いを伝えたそうです。
 
実際に住んでみて、どう感じたのでしょうか。
 
「ここで生活するようになって初めて、『都会にいたときはストレスがあったんだなあ』と気づきました。都会で生活していると、それが当たり前だから分からなかったんですね。高速バスを使えば、ここから東京方面まで2時間半ほど、電車でも3時間くらい。仕事で東京方面に出向くこともできますし、生活していてほとんど不便を感じることもありません」

【庭に面した広縁。上部には明かり取りの高窓と昔ながらの木組みが残っています】

【庭に面した広縁。上部には明かり取りの高窓と昔ながらの木組みが残っています】

【現在暮らしている家の広縁側。約100年前の面影が今も残ります】

【現在暮らしている家の広縁側。約100年前の面影が今も残ります】

地域に眠る歴史を掘り起こす

鋸南町には、日本寺と石切場という魅力的な史跡を併せ持つ鋸山があり、2021年には日本遺産の「候補地域」に認定されました。子どもの頃から歴史好きだった正大さんは、移住後まもなく研修を受け、「鋸山認定ガイド」になりました。
 
同時に、それまで時間がなくて手をつけられなかった地域史の探索も始めます。
 
鋸南町を含む鋸山一帯は、かつて「房州石」の産地として知られ、切り出された石は東京をはじめ関東一円で使われていました。今も各地に採石場跡、いわゆる石切場が残されています。
 
正大さんは以前から、鋸山の鋸南町側に残る「元名の石切道」の存在を知っていました。移住後に実際に足を運んだことをきっかけに、周辺に残る石切場の調査を始めました。
 
「これは眠らせておくのはもったいない!」
 
そんな思いから約1年間、自ら現地を調査。その成果を地元の公民館で報告しました。開催にあたっては自分でチラシを作り、町役場にも置いてもらったそうです。当日は約50名が参加。ガイド仲間だけでなく一般の町民も多く訪れ、なかには「親が石切り職人だった」という方もいました。正大さんの調査は、そうした人たちの協力も得ながら、さらに深まっています。
 
正大さんは言います。
 
「移住者が何かをやりたいと思ったときは、自分が何を考え、何を目指しているのか、地元の人によく知ってもらうことが大切だと思います」
 
石切場の調査だけでなく、現在は地元誌『野水仙つうしん』の編集や鋸南みまもり隊、鋸山認定ガイドなど、地域に関わるさまざまな活動にも参加しています。

【石切場を案内する山本さん(写真提供:山本正大さん)】

【石切場を案内する山本さん(写真提供:山本正大さん)】

先人が残したものを、未来へつなぐ

正大さんには、これからやりたいことがたくさんあります。
 
たとえば、鋸山の金谷から保田へ抜ける登山ルートの整備。これが実現すれば、鋸南町を訪れる登山客が増え、地域の活性化にもつながるのではないかと考えています。
 
まだ広く知られていない戦争遺跡も紹介したい。安房国札三十四観音霊場の保田・佐久間の巡礼道も復活させたい。そして、地域で受け継がれてきた「万祝(まいわい)」(*)を活用し、新たな地域資源として活かす方法も探っていきたいそうです。
 
先人が築いたものを、忘れ去られないように残し、次へ伝えていく。正大さんの活動は、まだまだこれから続いていきます。
最後に、移住を考えている人に向けてアドバイスをお願いしました。
 
「今は、この土地で、やりたいことがやれています。いろいろな活動ができて楽しめています。リモートワークで仕事を確保できる人は、ぜひ、二拠点生活や移住を考えてみるといいのではないでしょうか」
 

インタビューを終えて

4代、約100年にわたって受け継がれてきた家。その家で暮らす正大さんが、今度は地域に埋もれた歴史を見つけ、次の世代へつなごうとしていることが印象に残りました。
 
約100年前のガラスや障子、時計が残る家で、光回線を使ってSEとしてリモートワークをしている。その新旧の対比も、この家と正大さんらしさを象徴しているように感じます。
 
いつかまた、正大さんが掘り起こした地域史の「その後」を聞きに伺いたいと思います。
 
(*)万祝…大漁を祝う際、船主や網元が漁師たちに贈った、色鮮やかな染めの祝い着。江戸時代から戦前ごろまで使われていました。
 
(※本記事は、2026年8月に取材・撮影を行った際の情報をもとにしています)
 
山本正大さんのnote

https://note.com/ripe_fennel4947

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