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海が見える家。開放的な暮らしと南房総でつむぐ交流

<ご紹介するのはこんな方>

石黒弘明(ひろあき)さん(70代)
裕美(ひろみ)さん(70代)
南房総市和田地区在住
家族構成 夫婦2人住まい
以前の居住地 千葉県浦安市
移住スタイル 定住

2000年に南房総市の和田地区に家を建てた石黒夫妻。新築してから3年後に夫の弘明さんと息子さんが浦安市から移住。妻の裕美さんはさらにその3年後、60歳の時にこちらへ引っ越して来ました。
自宅からは開放的な景色が広がります。そしてさらに向こうには海が見える、自然豊かな地域です。
この土地に決めた理由や、実際の暮らしについてお話をうかがいました。

【自宅の外観】

【自宅の外観】

山から海へ。よく遊びに来ていた南房総に移住

【石黒裕美さん 弘明さん】

【石黒裕美さん 弘明さん】

若い頃から南房総によく遊びに来ていたという弘明さん。バイク乗りで日本各地を旅していました。
海や山にもよく行ったそうです。
現在の住まいは海の近くですが、以前は「山派だった」と話します。
結婚して浦安に住んでいた頃は、八ヶ岳に別荘を建て、休みの日には山へ遊びに行くという生活をしていました。

浦安から南房総に移住するきっかけは何かあったのでしょうか。

「その頃はガスの取り付けの仕事をしていて、とにかく道路の渋滞が多いことが苦痛でした。
朝からうんざりしてしまって『この生活をいつまで続けるのだろう』と思っていたんです」

「もし、定年まで目いっぱい働いて移住したとしても、その後身体がもたないのでは」と考えた弘明さん。
まだ余力のあるうちにこちらへ来て、新しい仕事の基盤を作ろうと、50歳で退職し、物件探しを始めます。

移住先を考えた時に「次のエリアは南房総で!」と決めていました。
山派の弘明さんでしたが、今までいろいろと巡ってきたので「今度は海側に暮らそう」と房総地域の不動産会社に飛び込み、物件を見てまわることにしました。20軒ほど見学したそうです。

街中の便利さよりも、田舎の自然を求めてたどり着いた土地

弘明さんははじめ、千倉に住みたいと考えていました。
最初に案内された千倉の中古物件は駅が目の前にあったため、「電車もすぐ乗れるし便利だよ」と裕美さんに伝えました。
しかし裕美さんは「嫌だ」ときっぱり。

「せっかく田舎に移住するなら、街中には住みたくない。自然豊かな所がいい」とはっきり言ったそうです。

そこから何軒も見てまわりましたが、裕美さんが納得する物件はなく、最後に現在の土地を紹介されました。
見晴らしのいい景色と、海が近いということで、二人はこの土地が気に入ったと話します。

弘明さんは「中古住宅を購入すればすぐに移住できる」と思い物件を探していましたが、この土地で新しい家を建てることに決めました。

以前は菜の花畑だったこの土地ですが、所有者が高齢のため畑を続けられず、手放すことになったそうです。
弘明さんは八ヶ岳にあった別荘を売却して、この土地を更地にし、家を建てました。

移住してからは、ハウスクリーニングの仕事を起業します。

「今72歳だけど、まだまだ仕事が来ますよ。もし定年後にここに来ていたら、こうは働けていなかったでしょうね」

裕美さんは浦安にいる間、役所の仕事を勤め上げ、移住してからも5年ほどは、弘明さんの仕事を手伝っていたそうです。
南房総の広いエリアを、二人は仕事であちこちまわりました。

自宅の気に入っているところを教えてください

「まずは開放的な入り口ですね。ここは土間になっていて、草刈りをして長靴のまま入ってきたとしても、お茶や食事の後にすぐまた外に出られるようにしたかったんです」

ここは店舗の入り口でもあるため、ガラス張りの引き戸で室内を明るくしました。

家を建てる際に「入り口の他に玄関を設けるか」と聞かれたそうですが、ここがあれば充分だと判断しました。

土間は入り口から広間を通り、台所まで続いています。床が汚れてもサッと掃き掃除ができるので、使い勝手がいいそうです。

もうひとつのこだわりは、家の全ての扉を引き戸にしたこと。

「ここは風が強い時もあるので、急にドアが閉まると危険です。場所をとらない引き戸がいいなと、はじめから決めていました」

部屋数の多いお宅ですが、引き戸を開けると開放的な空間が広がります。

屋根には太陽光パネルを取り付け、オール電化にしました。
新築した頃はまだご近所で太陽光発電をしている家がなかったため、驚かれたそうです。

【2階のベランダから見える景色 太平洋が広がる】

【2階のベランダから見える景色 太平洋が広がる】

裕美さんのお気に入り場所は、なんと言っても2階の部屋から見える海の景色です。

「今は当たり前のように感じていますが、やっぱり貴重な風景ですよね。風が心地よく吹いてきますよ」

足腰の健康のために、できるだけ毎日散歩をしている裕美さん。
自宅から海まで歩いて、ビーチコーミングをするのが楽しみです。
部屋には、海で集めたシーグラスや貝殻がたくさんありました。

バス停までは家から徒歩5〜10分ほど。鴨川の病院に行くときなどに利用しています。
スーパーは車で10分ほどの距離で、買い物や通院には館山へ出かけることも多いとのこと。

この家は国道から少し入った場所にあるため、人通りも多くはありません。
ご近所には桜の穴場スポットがあり、春になると花見を満喫することができます。

【近所の桜並木】

【近所の桜並木】

交流の場を新たにつくり、つながりの輪を広げる

移住後は「楽しいことばかりではなく、大変なこともあった」と話すお二人。

息子さんが高校を卒業してすぐの頃、交通事故にあってしまいました。その後「高次脳機能障害」というハンディを抱えることになります。

お二人も初めて知る障害にとまどい、相談できる人もなかなか周りにはいなかったと言います。

そのため弘明さんは「同じ障害を抱える人や家族がつながる場を作りたい」と、高次脳機能障害の家族会を立ち上げることにしました。そして家族会が交流できる施設を、新たに建てることにしたのです。

【丸山地区に建てた交流施設「楽市座」】

【丸山地区に建てた交流施設「楽市座」】

「ちょっとした発表会もできる場所にしたい」と舞台もつくった弘明さん。

その場所は今も、家族会が集まる拠点となっていて、その他に、朗読や音楽会などが催されています。
地元の人や移住者がつながる場としても活用されてきました。

移住を考えている方へ、アドバイスをお願いします

「知り合いが誰もいない土地へ、私たちは移り住みました。なので、はじめの頃はご近所さんの風当たりが強く感じられることもあった気がします。きっと相手も『得体の知れない、よそ者が来た』と不安だったのでしょう」

弘明さんは「移住して一年間は、遊ばしてもらうよ」と裕美さんに了承を得て、地域の会合にできるだけ参加することにしました。すると、信用してもらえたのか、地元の人たちともすぐに打ち解けることができたそうです。

「南房総はとても広い地域で、歴史を調べてみると改めてすごい所だなと感じます。ただその素晴らしさに気付かない地元の人も多いので、移住者だからこそ感じる魅力をぜひ発見してみてください」

インタビューを終えて

お茶をいただきながらお話を伺っていると、土間のテーブルの下に小さなカニが歩いてきました。
「雨の後はよく入ってくる」とのことで、思いがけない来客に場が和みました。

庭に出てみると、いつの間にか増えていたと言う百合とミントの香りが広がって、思わず深呼吸。

そして南房総市のお昼のチャイム「浜千鳥」が流れてきました。

和田町では、南房総市が合併する前からこの曲が流れていて、海岸には作詞をした鹿島鳴秋(かしまめいしゅう)の歌碑が建てられているそうです。

筆者も改めて浜千鳥の歌詞を読み、海を眺めながらさまざまな想いを巡らせました。

パワフルな活動を続けて来られたお二人に、これからも明るい光がたくさん注がれますように。
そしてあたたかい交流の輪が広がっていくことを、心から願っています。

(※本記事は、2025年9月に取材・撮影を行った際の情報をもとにしています)

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