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海の近くで暮らしたい! サーフィンを軸に館山で家を建てる

【富山潤一郎さん】

<ご紹介するのはこんな方>

富山潤一郎さん(51歳)
館山市区神戸地区在住
家族構成 4人(夫婦と高校生の長女、中学生の次女)
以前の居住地 東京都立川市
移住スタイル 定住

館山屈指のサーフポイント・平砂浦近くに、水色の外壁に白い縁取りの窓が印象的な、切妻屋根の家があります。玄関前にはサーフボードが飾られ、一見して「サーファーの家」と分かります。この住まいの主は東京で生まれ育った富山潤一郎さん。
富山さんは、なぜ館山を選び、どのように暮らしをつくってきたのか、お話を伺いました。

【家の外観】

【家の外観】

サーフィンと仕事、人生の軸を見つけるまで

富山さんがサーフィンに出会うきっかけを作ったのは弟さん。第二次サーフィンブームの中で、先にサーフィンをはじめた弟さんが、18歳で車の免許をとったばかりのお兄さんに、たびたび言うのです。
「海まで乗っけていってくれよ~」
…こうして、海に通うようになりましたが、若かりし富山さんも当然サーフィンに夢中になりました。
 

「海に入っていると、非日常的な感覚になりますよね。言葉を使わず、何も考えないままに自分と対話しているような気がして」と、富山さん。
 

仕事は福祉職で、障がいをお持ちの方の支援が専門です。東京都内で働いて数年経ってから転職しましたが、給与は上がったものの激務で、しかも本来専門としたい仕事以外の業務が増える一方でした。こうして海から遠ざかる生活を続けること4年。やはり「自分が本当にやりたいことをしたい」と、館山への移住を真剣に検討しはじめました。

【サーフィンをする富山さん】

【サーフィンをする富山さん】

館山に移住、地域に根づく時間

ちょうどその頃、商工会青年部が母体となった移住支援の取り組み「おせっ会」が始まり、富山さんはここに相談したことをきっかけに館山へ移住しました。のちに富山さん自身も、移住支援に関わる立場としてこの活動に携わるようになります。
 

おせっ会のメンバーから紹介された住宅は、富山さんの今の住まいから1.5キロほど離れた場所で、築100年を超えるとみられる古民家。長年使われておらず、修繕は自分で行うことを条件に格安で借りました。雨漏りをはじめ、修繕が必要な箇所が多く、大変ではありましたが、地域の活動に参加し、人間関係に馴染んでいきました。
 

こうした地域での活動はまた、子育ての時期と重なりました。館山に移住したとき、現在高校生の長女はまだ1歳の誕生日を迎える前でした。富山さんは言います。
 

「過疎地域なので子どもたちは歓迎されました。子どもたちがいたからこそ、地域に溶け込むことができたのだと思います。PTAの会長も務めましたよ!」
 

必要とされる職種ということもあって、仕事も人づてで就くことができ、困ることはなかったそうです。

【心にはいつも海】

【心にはいつも海】

「富士山が見える」土地に、サーファーの家を建てる

2009年からはじまった館山での生活が落ち着いたところで「家を建てよう」と決め、いろいろな土地を見て回りました。
 

この土地を選んだ決め手は「富士山が見えた」こと。家については、何か所か相談した末、輸入住宅専門の工務店に建ててもらうことにしました。そこはサーファー。かっこよさを優先しました。
 

90坪の土地にツーバイフォー工法で建てられた平屋、延床50坪の家は、傾斜地であることを利用して、家の基礎の下にサーフボードを収納するスペースを設けました。玄関へは数段の階段を上がりますが、その先には、玄関前から家の外周をぐるりと回れる回遊アプローチが作られています。ここから海風や陽光を感じられるのも海の近くで暮らす家ならではの楽しみでしょう。明るい水色の外壁に、白く塗られたアプローチの手すりが映えます。富山さんのお家だけ、まるでアメリカの西海岸にあるかのよう。家は2015年に完成しました。

【基礎下のサーフボード置き場で】

【基礎下のサーフボード置き場で】

海の近くで確立された、今のライフスタイル

映画やドラマのロケにもよく登場する平砂浦まで直線距離で約800m。地元の方から「家を建てるなら、玄関は引き戸にしな」とアドバイスされるほど風が強い地域ではありますが、富山さんはいつも自転車で海へ向かいます。頼みの足の自転車は潮風に負けて錆び、もう5代目。いちばん海に入っていたころは、夏4時半の日の出から6時までサーフィンをして仕事へ。17時に退勤して、17時半には着替えて海へ。日没19時までサーフィン…という生活を週に4日していたとのこと。今は無理せず、自分のペースで海と付き合っており「やはり海に近い環境で生活を続けたい」と思っています。
 

ご家族の生活はどうでしょうか。奥さんは同業で共働き。育児をしながらの古民家暮らしは本当に大変だったに違いありませんが、今も忙しく、充実した生活を楽しんでおられるそうです。お子さんたちについて、富山さんはこのように言っています。
 

「子どもたちは、子ども園3年(*)、小学校6年、中学校3年、と12年間同じコミュニティで育っていて、みんな仲が良いです。デメリットもあるかもしれませんが、メンタルは安定しやすい好環境ではないかと思います。長女は今、高校生で、卒業したらここを離れて生活するという希望を持っています。東京都内にある私の実家を拠点に通学、通勤することになるかもしれません」
 

家族それぞれがご自身のライフスタイルを確立されているようです。

【遠く富士山をバックに、相棒の自転車とサーフボード】

【遠く富士山をバックに、相棒の自転車とサーフボード】

【ウッドデッキからは富士山が望めます】

【ウッドデッキからは富士山が望めます】

【玄関前で】

【玄関前で】

インタビューを終えて

移住支援の活動を通して、移住の失敗例も見てきた富山さんは「移住を成功させるには、地域に溶け込む努力も必要です」と言います。また「家は建てた後の暮らしまで考えたほうがいいですね」とも。
 

「サーフィンができなくなったらどうするか、というのも考えています。70歳くらいまではできると思うのですが……」と富山さん。海の近くで生きる選択は揺るがないようです。
 

(*)子ども園…幼稚園と保育園の両方の機能をあわせ持った施設。館山市や南房総市では主流になっています
 

(※本記事は、2025年12月に取材・撮影を行った際の情報をもとにしています)

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