両親がはじめた二拠点生活。
二世もまた、家族と通う理由
【ドイツ語翻訳・ライターの加藤淳さん】
<ご紹介するのはこんな方>
加藤淳さん(52歳)
鋸南町・東京都台東区 二拠点生活
家族構成 4人家族(子ども2人)
加藤さんの両親が土地を購入し、家を建て、二拠点生活をしていた鋸南(きょなん)町。
息子である加藤さんが引き継ぎ、今は子どもたちや加藤さんの母親と、親子三世代で二拠点生活を楽しんでいます。
加藤さんがこの土地と出会ったころから現在までの、心の変化やここでの過ごし方について話をうかがいました。
興味がなかったはずなのに……
加藤さんが高校生のとき、ジャーナリストだった父親が南房総へ取材に通っていました。そのとき出会った土地が、鋸南町にある現在の土地です。最初は、「えっ、こんなとこ!?」と思っていた母親も、地元の人が丁寧に野菜作りを教えてくれるうちに、どんどん野菜作りにはまっていきました。
1994年、加藤さんが大学生のとき、両親がここに家を建てました。ノートパソコンがなかった当時、毛布で包んだデスクトップのパソコンを持って、横浜と鋸南町間を毎週末移動し、仕事をしていたといいます。アクアラインもまだ通っていない時代なので、片道3時間半くらいかかりました。その様子を見ていた加藤さんですが、当時は全く鋸南町に興味はありませんでした。
【加藤さん宅】
加藤さんが育った当時の横浜市は、自転車で30分移動すれば郊外に空地や小さな森があり、小学生のころから、虫を捕まえて遊んでいました。どちらかというと都会というより、今の南房総のような環境下で育った加藤さんが大学生になったとき、だんだんと都会の大学生とそりが合わなくなっていきます。そんなとき、ゆっくり本が読める環境があって、海にも行けて、いつでもギターが弾ける鋸南町の家が、急に輝いてみえるようになりました。「そのときから、ぼくが一番ここを好きになった」と断言するくらい、鋸南町の自然環境を楽しむようになったのです。
変化しながら続く、二拠点生活
【両親の時代よりも軽くなったPCを持ってきて、仕事をすることも】
今は月に1~2度、鋸南町に通っている加藤さんですが、社会人になって体調を崩したとき、この家にこもっていた時期があったそうです。また、コロナ禍では、2年くらい一人でここに暮らしながら、リモートで仕事をしていました。小学生の子どもたちは奥さんと都内で暮らし、月に2~3回子どもたちだけ電車で君津へ向かい、加藤さんが車で迎えに行って、ここで一緒に過ごしていたそうです。
【丈(じょー)君と、摩耶ちゃん】
小学3年生の摩耶ちゃんに鋸南町の好きなところを聞いてみると、「ここで、みんなで餃子を作って食べられるのが好き」と教えてくれました。都会にいると親は仕事で忙しく、子どもたちも子どもたちなりに忙しいので、みんなでゆっくり料理をする時間がなかなかありません。鋸南町の家にくると、みんなで一緒に餃子を作って、それをゆっくり味わう時間があるといいます。
小学5年生の丈(じょー)君にも同じ質問をすると、「山登りをしたり、山の中で遊んだりする。都会ではできないし、鋸南町は時間がゆっくりで、自然もあって、静かな環境があるから遊びやすいです」と、しっかりした口調で教えてくれました。
畑作業にジョギングにハイキングも
【畑仕事に精を出す加藤さん】
加藤さん流鋸南町の過ごし方を聞いてみると、時間があれば畑作業をやるとの返答が。母親が畑に夢中になっているときは全く興味がなく、30代に入ってから、母親に声をかけられたときに手伝う程度でしたが、今では時間があれば率先して畑作業をやるのだとか。
加藤さん「体調を崩してここにこもったとき、地域の人からもらった野菜を食べるとうまさが全然違った。ここ3~4年で自ら畑をやるようになって、今では大好きです。作ったものを子どもや母に食べさせたい」
おにぎりを作って、子どもたちと一緒にハイキングにもよく行くといいます。鋸山(のこぎりやま)や富山(とみさん)など、南房総の低名山を堪能しているようです。そして、ここで過ごすときは必ず、家から海までの7キロほどを子どもたちとジョギングして、保田海岸で夕日を見るのが日課なのだとか。
【加藤さんが保田海岸から眺めた夕焼けと富士山】
年末年始は、加藤さんの母親も一緒に家族5人で集まって、みんなでお節を作って過ごすのが、毎年の恒例行事だそうです。
家を継いだ二世が、地域との絆を深めたきっかけ
草刈りなど地域の共同作業には、100%参加しているという加藤さん。きっかけは、令和元年房総半島台風でした。南房総エリアは近年、大きな災害に遭うことがありませんでしたが、令和元年房総半島台風では被害を受け、多くの人たちが自衛隊や全国から集まったボランティアに助けられる経験をしました。それは、加藤さんも例外ではありません。
「日本各地でボランティア活動を続けている、情が熱すぎる人たちに手を差し伸べられて、これはちょっとあれだなと、自分を見つめ直すきっかけになりました。今までは草刈りや地域の作業に毎回は出れてなかったけど、何があっても、100パーセントやりますって気持ちになった」
そこから、地域の人たちも刈り払い機の使い方など、いろいろ教えながら面倒を見てくれるようになり、今でも裏山にイノシシの罠をかけてくれています。独り暮らしのおじさんの山の草刈りをしたり、年老いた母と息子の家に様子を見に行ったりと、加藤さん自身もできることを率先して行っています。
都会の方が不自由だ
鋸南町での暮らしに不便を感じたり、困ることはないかと聞いてみると、「全く感じないし、都会の方がギター弾きながら大声で歌えないし、不自由が多すぎる」と言いました。人との出会いは鋸南町を中心に広がり、大事な出会いがたくさんあったこっちの方が、「自分にとったら便利だった」と、気持ちのいい笑顔で話してくれました。
【初めて持参した望遠鏡のセッティングをする丈君。星空観察ができるのもここならでは。】
インタビューを終えて…
グーグルマップを見ながら向かった加藤さん宅。想像はしていましたが、それを上回る道の細さで、引き返すのも難しいため電話で確認しようと思うと圏外。不安を募らせながら先へと進み、ポツンとたたずむ家の中で子どもたちが遊んでいる姿が見えたとき、ほっと胸を撫でおろしました。そんな里山の奥深くにあるこの家を、加藤家が楽しみながら代々引き継いでいってくれたらいいなと、インタビュー後心をホカホカにして、妄想しながら帰路につきました。